久慈市の文化財
久慈市の文化財
歴史のある建物や石碑、伝統行事、遺跡、古くから立つ樹木などのうち、歴史的、芸術的、学術的な価値が高いと認められるものを「文化財」と呼んでいます。
文化財のうち、特に重要なものについて「指定文化財」として保護しています。また、指定文化財よりも緩やかな規制のもとに、より多くの文化財を幅広く保護していこうとする「登録文化財」もあります。
久慈市にはさまざまな文化財が存在しています。文化財に関心をよせていただき、その保護にご理解とご協力をお願いいたします。
国指定および国登録文化財
国指定天然記念物 「長泉寺の大イチョウ」
昭和6年2月20日 国指定
長泉寺の境内にある、日本屈指のイチョウの大木です。幹周り(注釈:胸高周)は22メートル27センチメートルを測ります。推定樹齢1100年とされる長寿の木ですが、樹勢はなお旺盛です。
(注釈)胸高周:地上から1.2メートルの部分で計測した木の幹の太さ
国登録有形文化財 「アレン記念館」
平成28年11月29日 国登録
久慈地域の教育と福祉の向上に生涯をかけて尽力した、久慈市の名誉市民タマシン・アレンの居宅でした。アメリカの著名な建築家、W.M.ヴォーリズによる設計で、昭和16年(1941)に建築されました。
岩手県指定文化財
県指定天然記念物 「内間木洞及び洞内動物群」
昭和41年3月8日 県指定
久慈市山形町小国の内間木地区にある、総延長6キロメートルを超える鍾乳洞です。洞内には希少なコウモリや昆虫類が生息しており、洞窟とともに保護の対象となっています。厳冬期には地面から上に向けて成長する氷の柱、氷筍が数多く形成されます。洞内環境の保全のため、一般公開は年2回に制限されています。
県指定天然記念物 「霜畑のケヤキ群」
昭和55年3月4日 県指定
久慈市山形町霜畑の霜畑八幡宮の境内に立つ、県内最大の2本のケヤキの巨木です。かつては4本のケヤキの木がありましたが倒木により失われ、現在は2本が残っています。幹回り(胸高周)は6メートル84センチメートルと6メートル49センチメートルを測り、県内のケヤキの木では第1位・2位となっています。
県指定有形文化財 「獅子頭」
昭和58年12月23日 県指定
久慈地方では獅子頭のことを「権現様」と呼びます。裏面に文明17年(1485)の紀年銘があり、紀年銘のある獅子頭としては宮古市の黒森神社に伝わるものと並び、県内最古となります。
県指定無形民俗文化財 「夏井大梵天神楽」
平成11年5月7日 県指定
久慈市夏井町夏井に伝わる神楽です。大梵天神を主祭神とし、夏井町大宝院において舞い継がれてきました。大宝院の創立時の棟札には文和3年(1354)とあり、神楽の起源は南北朝時代にさかのぼるとも伝えられています。昭和53年に夏井大梵天神楽保存会を結成、現在は夏井中学校生徒が伝承活動に取り組んでいます。
県指定史跡 「久慈城跡」
令和4年4月8日 県指定
久慈川沿いの平野を一望する丘陵に築かれた中世の山城で、城の構造が良好な状態で残されています。戦国時代に久慈地方を領地とした久慈氏の居城で、文明年間(1469~1487)に久慈備前守信実が一族の居城に定めたと伝わります。天正19年(1591)、南部氏の後継の座をめぐり九戸政実と南部信直が争った戦「九戸一揆」において、久慈氏は九戸方の武将として参戦するも敗北、久慈氏の直系は滅亡し、久慈城も取り壊されました。
(補足)「久慈城跡」の記事もご覧ください。
久慈市指定文化財
無形民俗文化財
「牛の角突き」
無形民俗文化財
「久慈の海女漁の技術」
天然記念物
「琥珀大原石」
久慈市指定等文化財一覧
久慈市が指定する文化財は全部で62件あります(令和7年4月1日時点)。添付ファイルの「久慈市指定等文化財一覧」をごらんください。
久慈市内指定等文化財一覧 (PDFファイル: 636.8KB)
久慈市文化財マップ
久慈市にあるさまざまな文化財を紹介する地図が「久慈市文化財マップ」です。市内の指定・登録文化財をすべて掲載しているほか、指定以外の特徴的な文化財や、郷土の偉人についても載せております。
市指定有形文化財 「憲法草稿評林」
令和5年3月31日 市指定
令和5年3月31日付で、新たに「憲法草稿評林」を市指定文化財としました。
「憲法草稿評林」は、明治政府の憲法草案「国憲第三次草案」について評論した書籍ですが、市指定文化財の「憲法草稿評林」は、久慈出身の思想家、小田為綱により、いわゆる「上段評論」が書き加えられているのが特徴です。
憲法草稿評林とは
明治13年(1880)、元老院が憲法草案「国憲第三次草案」を作成、極秘文書であるはずのこの草案が何らかの経緯で民間に流出しました。この「国憲第三次草案」の条文を掲載し、草案に対する評論を記した書籍が「憲法草稿評林」です。この本の作者は今も不明です。
小田為綱は「憲法草稿評林」を入手し、余白に自らの考えを朱書きしたと考えられます。この朱書きを「上段評論」と呼んでいます。上段評論には「廃帝(退位)の法則」、「議会の権限強化」など、国民主権の考えに基づいた、先見性に富んだ内容が記されており、久慈市の人物史のみならず、日本における思想の変遷や、近代法制度が成立する過程を研究する上で、きわめて重要な資料といえます。
小田為綱について
小田為綱は天保10年(1839)、宇部村(現在の久慈市宇部町)に生まれました。幼少期より勉学に秀でており、江戸の昌平校に学び、南部藩の藩校「作人館」で教職を務めました。生涯で数度、明治政府へ建言書を提出しており、採択とはならなかったものの、北東北の開発を推し進めるというその内容は時代を先取りしたものとなっており、先進的な思想の持ち主であったことが伺えます。明治31年(1898)、自らの理想を実現するため衆議院議員となりますが、わずか3年後の明治34年(1901)、志半ばで逝去しました。
死後、その業績は忘れられていましたが、没後60年以上が過ぎた昭和42年(1967)頃、子孫の家で保管されていた遺品の文書類の中から「憲法草稿評林」が発見され、小田為綱の再評価のきっかけとなりました。
新指定の文化財
新たに久慈市で指定した文化財を紹介します。
市指定文化財「金刀比羅神社天保三年俳諧献額(ことひらじんじゃてんぽうさんねんはいかいけんがく)」
金刀比羅神社
久慈市湊町
「金刀比羅神社天保三年俳諧献額」
令和7年3月31日 市指定
令和7年3月31日に、「金刀比羅神社天保三年俳諧献額」が久慈市指定文化財に指定となりました。
金刀比羅神社天保三年俳諧献額とは
この俳諧献額は、天保3年(1832)7月、久慈市湊町の金刀比羅神社に奉納されたもので、願主は、久慈の俳人である白野・白意・嵯忠・魯仙・橘平・梅星軒馬来の6名で、願主らの句が中心となり、春51句、夏30句、秋11句、冬8句、文音9句の計109句からなります。この6人は、久慈の政治・経済の中心的人物でもありました。
八戸藩第7代藩主南部信房も句を寄せており、信房は幼い頃から俳諧をたしなみ、研鑽を重ねて俳諧を推奨し、「俳諧の藩主」として知られ、五梅庵畔李と号しました。
献額には五梅庵畔李と信房の側室である花月堂李州の句も寄せられています。
句を寄せた俳人の範囲は、久慈・野田・大野・八戸・一戸・福岡・沼宮内・岩泉・五戸・野辺地・宮古の他、仙台・江戸・京都にまで及んでおり文化交流の広さを知ることができます。
額は、縦52cm、横387cmの大額であり、けやきの一枚板に墨書されています。「天保三年壬辰七月吉日 梅星軒八重歳現書」とあり、天保3年(1832)、梅星軒馬来80歳の時の揮毫によるものです。
大額で句数も多く、藩主の句が掲載されており、江戸時代後期の久慈地方における俳諧文化の隆盛を伝える貴重な俳諧献額です。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化課
〒028-0051 岩手県久慈市川崎町17番1号
電話番号:0194-52-2700
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更新日:2025年11月17日